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対馬・壱岐 島めぐりの旅 7 八幡神社と古事記

海山ヒロ

海山ヒロ

対馬・壱岐島めぐりの旅。二日目の朝。(わたしにしては)早起きして、厳原の街散策中でございます。
散策の目的第一、朝鮮通信使の足跡をちょいとたどる。それは果たせました。
ま、ホテルの周辺の道にあるものだけですが。

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第2の目的が、こちら。厳原八幡宮神社でございます。

対馬ガイドのKさんに昨日いただいた「対馬BOOK」には、このお社についての詳しい記述はありませんでしたが。昨日の街歩きで通り過ぎつつ猫たちを愛でただけでは失礼。
まぁあと、わたしは旅先でであう神社にはちゃんとご挨拶すべきと思いまして。

なによりホテルから徒歩2分の距離にこんな立派なお社があったらば、行きますよね?

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近所だし、由来をご存じかな?と軽い気持ちで聞いたらば、「少々お待ちくださいませ」と言いつつ、ネットで確認して、さらにはそのページを印刷してくださいました、ホテルのフロントウーマン。ありがとうございます。

え~それ(ウィキペディア)によると、ここの正式名称は、八幡宮神社。明治7年に郷社に列せられ、大正5年(1916年)に県社に昇格したとのこと。ご祭神は応神天皇や神功皇后といった、お馴染みの柱です。
んで、神功皇后さんが三韓征伐からの帰り道、(神社の)背後の清水山に行啓し(たぶん物見でしょうね)
この山、神霊宿ってるじゃん。
なんて言って、山頂に磐境を設けて、鏡だの御幣だのおいてお祀りしたと社伝にあるそうな~。
まぁ神功さんは古事記や日本書紀でちょくちょく出てくる方ですが、実在したのか、したとしても数々の逸話は彼女ひとりのものかなんて言われている方ですな。

ただ、三韓征伐(三韓側からすれば、たんなる侵略ですね)の時、旦那の仲哀天皇が
いや神さんから言われた(神託がおりた)からって、国内の熊襲もごたついてんのに海わたって他国を攻めに行くってどうよ?
と及び腰になってたのに、
熊襲なんて攻めても実入り少ないやん。どうせ攻めんなら金銀財宝ざっくざくの新羅やん!神さんがそう言うくれはんねんから行くねん!
と妊娠中にもかかわらず、男装して戦場にでたアグレッシブな方だし、そもそもの託宣もご自分でやられた方だし。遠征の帰り道にさくっと山登りして物見して、神懸るってのはらしい感じがしますね。
あ、上記はもちろんわたしの意訳です。

ちなみに神功皇后という名は、聖徳太子なんかと同じくのちの世(奈良時代)におくられたもの。古事記には息長帯姫大神(おきながたらしひめのみこと)などと書かれています。
彼女の父親は息長宿禰王で、息長(気長とも)と言えば淡海(近江、琵琶湖)を本拠とした豪族で、三韓征伐の時に彼女がとどまった角鹿(現在の敦賀あたり)から日本海を渡って大陸と交易をおこなっていた古豪ですね。

そんな背景を考えれば、社伝にある彼女の行動も、さらに「やりそ~」と納得できるものになるし、なにより神功なんて四角四面のやたら偉そげな名よりも彼女に似合うと思うんだよな~。
なんて思いながら石段をのぼるワタクシ。

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のぼった先からはこんな風景が見えます。
たった十数段のぼっただけなのに、昨日散策した武家屋敷跡の街並みの向こうにお山が見える。まさに魏志倭人伝で
居る処は絶島で、土地は山が険しく、深林が多く、道は獣の径(みち)のようであり
と言われた地形であることが分かります。

ま、日本のたいていの山里がそうなんだけどさ。

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はい、こちらが本殿。
下の鳥居と正対ではなく斜め右にのぼり、さらに右に折れて入る場所にあるのは何故なのか。これは呪術的になにかあるのでは?楼門の前と後ろにそれぞれ配された狛犬の形がしたの狛犬とだいぶ違うのは、それぞれの役割があるからでは?
なんて邪推(妄想ともいう)しつつ、なんか作業してる方がおられるので、中に入ってのお参りはいいかと、楼門の前で一礼。

本殿がこの場所なのは、単に地形をあまり崩さず建物を立てやすい台地がここにあったからだろうし、狛犬さん達は奉納されたものだろうから、形が違うのは石屋さんか奉納した方の趣味とかはやりとかでしょう。
知ってる~。でもそんな妄想が楽しんじゃないですか。

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この八幡宮神社の境内には、神話の皇后天皇だけでなく、神々の中でも有名なあの方のお社もあります。
それがこちらのお社。手前の拝殿の後ろに本殿(正殿)も見えますね。入り口の鳥居の正面に位置するのはこのお社ですから、最初のお社ってこっちにあったんじゃ?とまた邪推。

ホテルの方にこの神社の由来を尋ねる前、昨日の段階で、この八幡宮に目をつけていたワタクシ。
入り口の鳥居から見れば、お社ではなくこのお山全体がご神体、磐座に見えて。「絶対ここ上古の時代からお山自体を神として拝まれてたでしょ」と妄想してました。

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そんなお社に祀られているのは、須佐男命(すさのおのみこと)でございます。
そしてほぅらやっぱり。神功皇后あらため息長の姫さんが山頂で祭祀したあと、分霊をここに祭ったって書いてある。

そもそもいまは八幡宮として祀られている側の姫さんだけれども、ここで祭祀したときは当然、自分ではない神様をおまつりしたわけで。
彼女の頃からの有名どころと言えば、伊弉諾さんが禊した時にうまれた三兄弟。そのうちのひと柱、ここに祀られてる荒ぶる神・須佐男さんは軍の神としても有名だしねぇ。
出雲の国風土記で牛頭天王と同一視されている素戔嗚(須佐男)さんが、蘇民将来の子孫なりのお札があるこの街に祀られているのはむしろ当然というか。
八幡宮としての社殿をたてさせたのは677年の天武天皇のころと伝わってるそうだから、ここにあったお社はそのままにして、横に八幡宮の本殿を築いたってことでしょう。

それはいいんだが。
撮ってた時にはまったく気がつかなかったけれど、この由来書きの横と奥に見える鉄の塊はなんだろう。大砲の玉に見えるんだが。
え?日露の頃のモノ?それとも太平洋戦争の……。

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まぁそんな血生臭い話はやめときましょう。
ほら、ごらんなさい。須佐男さんのお社の横の木の立派なこと。しゃがんで、精一杯背をそらして撮ったけれども、ワタクシのつたない技ではとてもその全景を修められませんでした。

樹木にまったく詳しくないので、このご神木が檜なのか樫なのかさっぱり分からん。杉ではないと思う。でも屋久杉だとこんな感じの木肌だったような……。
ともかく、このお社がここに祭られた頃からずっと厳原の町と人々を見守っていたんだろうなぁという、神さびた佇まいのご神木でした。

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宇努刀社(祇園)神社の横には、天神神社がございます。祀られているのは、あの安徳天皇と菅原のみっちゃん。

いや安徳天皇もほんと、いろんなところに足跡残されてるねぇ。彼、亡くなったとされるの満六歳よ?
壇ノ浦で祖母の二位尼さん、平清盛の嫁さんに抱きかかえられて入水(無理心中だとわたしは思います)したとされてる最後があんまりにも有名で。
しかもその時、三種の神器のひとつ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)もしくはその形代も一緒に波間に消えちゃったもんだから、ますます物語性が高くなって。
おかげで生存説が様々なところで流布して、九州四国を中心にお墓やら御在所やらがま~盛りだくさん。

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ここもそのひとつってことね。
文治の乱。つまりは平家と源氏が激突した文治のころの様々な戦いを避けて九州に行き、壇ノ浦の合戦でも入水したと見せかけ落ちのびて、ここ対馬で宗家(明治まで対馬を治めてた家)の祖となり、亡くなったのちにここに祀られました、と。
ふむぅ。
源氏方の義経君も落ちのび伝説があるし、だいぶ後の世では豊臣秀頼君も大坂城で死なずに九州に落ちのびたなんて伝説つくられてるし。皆様お好きですねぇ。
もちろんわたしも好きです。ロマンあふれるよね。「実は生きていた」説。終わらない物語を紡ぎたいよね。

菅原のみっちゃんが加えられたのは、貞治(じょうじ・ていじ)元年。
西暦でいえば1362年で、南北朝の頃だそうな。足利尊氏たちが派手にどんぱちやってた頃に、なんでわざわざ本土から離れたこの対馬で、平安時代に左遷されたせいで怨霊になったとされて(風評被害ですね)神に祭り上げられた秀才君を合祀したのか。
これもまた、謎。探りたくなりますねぇ。

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神域にある神社はもうひとつあります。お社の姿は、ちょうど後ろに他の参拝者さんがおられたので、撮りそこないました。
たしか他の2社と同じ、拝殿と奥に正殿。造りは八幡もしくは権現造り風。拝殿と正殿はつながっていないタイプだったと思います。

それよりもこれ。この看板をお社より先に激写したのは、小西行長の名が刻まれていたからなんですよ!
お~小西さん。高山右近とおんなじキリシタン大名だよな~。たしか秀吉に気に入られてたよな~くらいは知っとりましたが、そうか~娘さんが宗家に嫁入りしてたのね。そんで、旦那も改宗させて、実家が関ヶ原の後滅亡しても死ぬまで信仰を捨てなかったのねぇ。

うん。そりゃ「霊魂を鎮める」ために神社のひとつも建てられるわ。
「霊魂を鎮める」、魂しずめとはつまり、先にあげた菅原道真君みたいに祟り神にならないでねってことだから。
巡礼者や旅の僧なんかが客死した時に祠たてちゃう日本人だから、生前有名だった人、その生涯が波乱に満ちた、つまりは恨みを残しそうなものであれば、鎮めるよね。場所をあたえて、神域にかこって、朝に夕なに、彼らの生前の姿を知らないはるか後の世の者たちにも祈らせて、慰撫するよね。

死んだら終わり。なんにも残りませんよという仏教の教えも頷けるし悪かないけれど。
そんな人がいたのよと語り継ぎ、想いをよせるこんな祭礼の仕方もまたよし。日本の優しい風習だと思います。
わたくしも、あつくご挨拶させていただきました。

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そうそう。この八幡神社さんたら、石垣もご立派なので、お参りの際にはぜひ舐めるように激写してください。
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